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いち思考厨の思考の意味。

現場で見たことはすぐ飲み込めるときとそうでないときがある。実感としてすべて同時進行で飲み込めるか、断片的に映像だけが脳内に記録されて心は置いてけぼりの時のほぼ二種類だ。
後者は圧倒されてしまって、興奮状態にありよく飲み込めていない状況。目では確かに見ているのに、記憶喪失に陥っている。萩谷担になってからは特に多くあるのだけれど、それの頂点が毎年のクリエだ(えびの代々木も記憶にない。これも興奮しすぎてどこを見ていいかわからなかった自覚がある、久々のバックで見方を忘れていたのもある)
クリエ後の夏~秋にかけては(えび含む)、実感を伴って意味合いもその意図も受け取れているものと考えている。
むしろその方が珍しいくらいで、 コンスタントに現場が存在する=記憶力も良くなると思っている。停止していた脳が働き方を思い出した感じ。

そして、断片的にしか残らなかった記憶を噛み砕き、なぜそこが記憶に残っているのかも併せて読み解いていくのが、私の考察の理由のひとつ。

もちろん、楽しかったーかっこよかったーで終わることもある。現在のらぶさんたちにおいてはあまりないけれど、例えば、ガムパ8などはただその場を楽しむためだけに入って汗だくで出てきた。そういう楽しみ方もある。
そしてそのほうが今現在を楽しめると思うし、発散できる。
でも何故オタクをやっているのかを考えたときに、自分は興味の対象がどんな言葉選びをし、誰を見、何を感じ、どう生きているのかを知りたい。どういう言葉が一 番近いかと考えた結果、「自担になりたい」が一番的確な気がする。(ただし、私生活を知りたい分けではない)
メンバーとどういう人間関係を築き、何を喜び、何を不満に思い、どういった言葉を選び話すのか、この言葉の意味合いはどう受け取ることが本人の意図に沿うのか。
考察はそういったことを読み解いていく上での土台作りでしかない。
自分の中での自担の引き出しを多く持ち、情報を照らし合わせるための、情報収集の考察。
そしてそれが積み重なってさらなる考察につながっていく。
読み解くための情報を手にしていないことが、耐えられない故の考察。
「他人の考えている事はわからない」と自担を諦めたくないだけの話。
誤解をしていただきたくないのは、理解したいのではなく、数多くの生きている上での細かい情報を知りたいという事。使っている下着のメーカーや靴下の色などもそれに含まれる。何が彼という人間を構築しているのか少しでも情報を得たい。

私が全部わかってるなどとは言いたくない。こうかもしれない、という考察がしたい。それが正解では無いなんて事は、オタクだけでなく世界中の人がよく知っているはず。

見てきたこと、場の空気、本人たちの表情や声色。
そして自分の生きてきた中で見てきた人間のそれらのデータを照らし合せ、持てうる限りの情報を駆使して考察がしたい。
もちろん実生活においてそれらの精度を高めていきたいし、他人は何を考えどう行動するのかをもっと知って引き出しを増やしたい。

どんなものも、一個人の人生観しか反映できない。
どんな人のどんな意見であろうと、思い込みや理想が介入し、他人の言動を正確に把握 し意図するものを本人に代わって的確に提示することは不可能に近い。
でも、私は、それを可能に限りなく近づけていく努力は惜しみたくないし、それが苦痛ではなく楽しいからやっている。

しかしながら使えるお金や時間には限りがある。
なので、優先順位をつけざるを得ない状況にとても苦しい思いをしている。
同じような声もたまに見かける。「同じようにメンバー全員を好きでなければいけないのか」これは意味合いそのままに捉えたらとてもネガティブだ。
嫌いなメンバーがいるのであればそれはまた別のお話になってくるけれど、誰でも使いきれないくらいのお金と時間と自由に生きていいよというお許しがあれば、担当以外にも同じだけの気持ちを注ぐ事も不可能では無いはずだ。
好きなのにお金も時間も限りがある、だから、優先順位がついてしまう。そんな自分のふがいなさと、財力のなさに苛立ち、同じ分の労力も担当以外に注がなければならないのかという苛立ちになる。
でもそんなのは本末転倒なので、身の丈にあった応援をし、揚げ足をとるような発言をする人が居なくなれば一番いいんだけど、絶対居るよね。全員が好きとかいっておきながら、この公演には行かないんですかって言ってくる人。
他人の目を気にしすぎるのもまた苦痛。
(他人の目を気にしないというのは人に対して明らかに暴言とも取れるものを吐いていい、傍若無人に振る舞えということでは無いのは分かっていただけると思う。)

 

見られるものは全部みたい、可能な限り全員に興味をもち、全員を好きでいたい。
決してこれらは私にとってきれいごとではなく、萩谷くんを知るためにメンバーを好きになり、そして自分の思考のもとこねくり回して全容をつかんでいく。
苦手なメンバーが居る人も同様、全員を同じレベルで好きになる必要はどこにもない。
私自身に関しては、そうしないと私自身の欲求を満たせないから、全員を好きになり、他担さんとお話をし、意見交換を行い、人物像を把握していく必要があるだけ。

アジテーションをしたいわけではない。
追従者も必要ない。
ただ、同じ方向から同じものを見ている友人に出会いたいので、SNSを利用している。
幸い、構築していった人格がすべて覆って最初からやり直し、のようなことは今までないので、見当違いな人間像を受け取ってしまった事はないと考えている(多少の誤差はある)

眉唾話の類は基本的に情報を持たず、自分の中に選択肢の幅のない若年層がはまりやすい ものだと考えている。
そういったものと同じに捉えられてしまう事もおそらくあるが故の、思考厨バッシングも存在している。
または宗教の違い(仮)だ。見てきたものが違う異なる人間が渦巻いているオタク界隈は、同じ人を好きであっても信じているものが違う事がままある。
そういったものとの衝突も確かに存在するけれど「いろいろな意見があるな」と考えると自分の中で歪みが生じてきてしまうので「宗教が違う」と考えると私は不思議と何も考えずにフラットになれる。
人種が違うのだと考えることもある。
仕事ではないのだから、根本的な考えが合わない人と無理して一緒に仲良しごっこをやる必要もない。

精神衛生を保つための情報収集で、そして思考のための情報収集(主に自分の直接見たもの聞いたもの)で、そのための現場通い。でもたまたまそれができる生き方をしているだけで、すべての人の正義にはなり得ない。

そして他の宗教(仮)の人とはおそらくこれからも関わることはない。それでいいと思う。すみわけは大事だ。